気になってた本

「情報誌編集長サミット」を始めるアイディアとなった、“あるべき編集長モデル”のKさん。(「情報誌」も大事だけど、「編集長」の役割がその会社にもたらすこと、意義を当時の彼女を見て発見!)
もう14年ほどの付き合い。あれ以来、会社で情報誌を毎月発行を続けられ、編集長は現在4代目。初代編集長として礎を築いたKさんも産休、育休を経て会社に復帰後、1コーナーを担当して、記事の執筆を現在しています。
原稿段階でKさんの記事。ちょっと、・・・いや、かなり気になる内容。

(前略)
・・・という答えがほしくて、読み始めた本が衝撃的でした。
(中略)
第一章を読んで、正直逃げ出したくなりました。
思ってたのと違う。100倍重い。
しかし、そこをぐっと堪えて読み進めると、
結果的に人生観を変えるほどの読書体験となったのです。

なんじゃ?!
Kちゃん、どしたの? どしたの?

この原稿記事を目にして以来、気になっていた本。
休みに入り、読了。


→『急に具合が悪くなる』
宮野真生子氏・磯野真穂氏著 晶文社 (2019/9/25)

もし明日、急に重い病気になったら――
見えない未来に立ち向かうすべての人に。

哲学者と人類学者の間で交わされる
「病」をめぐる言葉の全力投球。

 


 

タイトルも表紙の絵面も、はて? どういう本?

Kさんの原稿を読んでいたので、内容はきっと重いんだろうなー、でも、何かが得られるだろうなー、と怖いもの見たさ半分の興味本位で読んでみました。

昨年(2019年)なので、ほんのちょっと前、知り合ってまだ日の浅い著者お二人の往復の書簡がそのまま本に。
読んでいてどこに向かっていく話なのかわからず、最初のうちは食いつきにくいんですが(書いているご本人たちがどこに向かっていく話かわからないままのキャッチボールですからね)、でも、途中から様相が変わってきます。


宮野さんの最後の書簡の中の一文。

今まで私が「踏み跡」を刻み残そうと、少しずつみんなに働きかけてきたものが、その先につながり始め、なぜかこのタイミングで噴出してきた。でもそれは、少し誇りをもっていうなら、私が「その中で出会う人々と誠実に向き合い、共に踏み跡を刻んで生きる」ことをしてきた先に与えられたちょっとしたご褒美だと思うのです。

この後、こう続きます。

一方向的に流れるだけの時間のなかで点になって、リスクの計算をして、合理的に人生を計画し、他者との関係をフォーマット化しようとするとき、あるいは自分だけの物語に立てこもったり、他者にすべて委ねているときには気づけないかもしれないけれど、私たちが生きている世界って、本来、こんな場所なんだ。そんな世界へ出て、他者と出会って動かされることのなかにこそ自分という存在が立ち上がること、この出会いを引き受けるところにこそ、自分がいる

何のために生きているのか、自分の中の哲学の大切さに、本を最初から読み続けているとこの辺りで改めて気づかされます。

何をどう選び、決めろというのでしょう。必死でリスク計算をしようとするかもしれません。そしてはじき出される成功が約束されそうな道をとりましょうか。あるいは失敗が怖いので大きな変化をもたらす選択は避けましょうか。しかし、どれを選んでもうまくいくかどうかわからないんですよ。「選ぶ」以上、そこには不確定なものがつきまとってしまいますからね。
 結局、私たちはそこに現れた偶然を出来上がった「事柄」のように選択することなどできません。では、何が選べるのか。この先不確定に動く自分のどんな人生であれば引き受けられるのか、どんな自分なら許せるのか、それを問うことしかできません。そのなかで選ぶのです。だとしたら、選ぶときには自分という存在は確定していない。選ぶことで自分を見出すのです。選ぶとは、「それはあなたが決めたことだから」ではなく、「選び、決めたこと」の先で「自分」という存在が産まれてくる、そんな行為だと言えるでしょう。
(中略)
〇〇な人だから△△を選ぶ、のではなく、△△を選ぶことで自分が〇〇な人であることが明らかになる。偶然を受け止めるなかでこそ自己と呼ぶに値する存在が可能になるのだと。

まだ40歳前半で本来なら人生これから!の哲学者が与えらえた状況で思うこと。表現は哲学者だけあってちょっと難しいですが、言いたいことがガツンと伝わってきます。

自分で選んだ人生を生きること。
その人生のなかで多くの人と出会い、誠実に向き合うこと。

Kさん、いい本を教えてくれて、ありがとう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA