「まずは“知る”」大切さ

 

コロナ禍なのに死亡数が減る日本の謎。

緊急事態宣言や営業自粛要請で経済を止めること。
学校を休校にして子どもたちから教育や友達との交流の機会を奪うこと。
ソーシャルディスタンスや外出自粛で高齢者の生活を制限し孤立を促進してしまうこと…
そしてそれらを今後ずっと続けなくてはいけない?という社会的圧力。
これらは、日本社会の根底を、いや「人との交流の中でしか生きていけない人間」としての根本的な何かをこともなげに奪い去る大きな嵐のように感じます。
特に、新型コロナの死亡者の大半は高齢者です。高齢者の終末期を毎日診療している立場から言わせていただければ、徐々に体力・免疫力が低下している高齢者の最後の病態がコロナだろうがインフルエンザだろうが肺炎球菌だろうが大した問題ではありません。仮に入院して人工呼吸器をつけて死を回避できたとしても、それは死を先延ばしにしているだけかもしれません。
それよりも、そこに至る過程にいかに寄り添えるか、それまでの人生をどれだけ生き生きと生きていただけたか、のほうが遥かに重要です。
(医師&医療経済ジャーナリストの森田氏)


ご近所にお住まいで、お孫さんが6名いらっしゃる(←全然そうは見えない)Nさんがコインランドリーのお客様として来店いただいき、初対面で話が盛り上がり、FACEBOOKでお友達になりました。その後、掃除している時に前を通りかかった際に声をかけていただいたりしています。ハツラツとした素敵な、初老と申し上げるのも申し訳ない若々しい女性です。
・・・なんかいいですね、こういう感じでお知り合いが増えるのは(^^♪

FACEBOOKをほぼ毎日更新されています。
その中で、積極的に活動、情報発信をされているのを拝見すると、頭が下がるとともに「負けてられない!」と活力をいただけます。

冒頭の「コロナ禍なのに死亡数が減る日本の謎。」はそのNさんが、現役医師の森田氏の一文を引用されていたもの。

→「コロナ禍なのに死亡数が減る日本の謎。」

耳を傾けるべき意見。

森田医師、9月末に新著を出されています。
→『日本の医療の不都合な真実 コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側』 (幻冬舎新書)

読んでみましたが、コロナに関することだけでなく、日本と各国の診療に対する考え方、姿勢の違い、その中で大切なことが理解できました。

「何が大切か?」は、人それぞれの考え方がありますが、まずは「知る」ことが大切かと。

著者の森田医師は経済学部出身から医師となった変わり種。財政破綻し「医療崩壊」が起きた北海道・夕張で医療に従事した経験あり。

そこでの気づき。

夕張での医療は本当に毎日が目からウロコでした。

それまで培ってきた「医学的正解に基づく病院医療」の世界が、ことごとく打ち砕かれるのです。

いや、「医学的正解」はそのまま変わらず厳然としてあるのですが、それを現場にどうやって落とし込むのか、そこには「正解がない」ということに、初めて気付かされるのです。

たとえば、90代でアル中の男性。肝臓も肺もボロボロでもう限界なのに、自宅で朝から焼酎飲んでる(笑)。

それまでなんとか外来に通えていて診察室ではそれなりに「よそいき」の顔を繕っていた爺ちゃんでしたが、訪問診療に切り替わって自宅に足を踏み入れた瞬間、この事実を知ることになるのです。

もちろんこれ、医学的に言えば完全にデタラメ。「すぐ入院!お酒もやめて治療しましょう!」って、それまでの僕だったら言ってたかもしれません。お行儀のいい患者さんならそのまま入院していたかもしれません。でも、その入院治療に「医学的正解」はあっても「その人の人生にとっての正解」も「医師・患者間の信頼関係」もないんですよね。

爺ちゃんはこう言いました。

「95超えてんだから検査したら何かあるに決まってる。血なんかとらなくていい。入院もしない。じゃ、何か? 検査したら、入院したら、ピシャっと治って100m走れるようになるのか? 俺はどこにも行かない。最期までここにいる。」

そう、僕はこの時点ではまったく爺ちゃんに信頼されていなかった。
これまで生きてきた爺ちゃんの人生に思いを馳せることが出来ていなかった。
多分「入院させて、禁酒させて、俺のことをがんじがらめに縛り付けにきた鬼」くらいに思っていたかもしれません。

なるほど…。
その後、夕張がどうなったか?

夕張の財政破綻・病院閉鎖前後のデータを比較したら、

◯市内の病床数は171床から19床に激減したにも関わらず、夕張市民の総死亡率は変わらなかった。
◯病死は減った。その代わりに老衰が増えた(だから市民が健康になったということではなく、これは診断する医師が医師と患者(家族)の信頼関係を築いて「老衰」と診断できる医師に代わったため)
◯救急出動が半減した。
◯医療費も減った

その下地には
・「予防と天命を受け入れる市民の意識改革」
・「高齢者の生活を支える医療・介護の構築」
・「高齢者の生活を支えるきずな貯金(Social Capital)」 の存在があった。
というところです。

→森田洋之氏のプロフィール より引用

保険と言い、医療と言い、よく知らずに“なんとなく思っていた常識”が、ちょっと知ることで実は「ん~?!」と感じること多々あるもんですね。(誰かにとっての不都合な真実?! 圧倒的多数の“一般の人”を無知のままにしておいた方がトクな人たちがいる?)

欧米でも、欧と米で医療の考え方は真逆と言ってもいいくらい。
ヨーロッパ各国の中でもそれぞれ考え方が違いますが、共通している大切な部分は「その人の人生にとっての正解」、「医師・患者間の信頼関係」の部分かな、と。
アメリカは経済、ヨーロッパはキリスト教からくる死生観に基づく考え方?
さて、日本は???

コロナ禍のせっかくの機会が考えるきっかけとなり、やがていい方向に進むといいな、と思います。

医療従事者でなくとも、「その人の人生にとっての正解」、「自分と相手間の信頼関係」、置き換えて考えさせられる良書でした。
Nさん、いい情報をありがとうございました!

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